プールで顔見知りになったおじいちゃんの話。
常連さんで、私は心の中で芳じい(よしじい)と呼んでいる。
最初はあいさつだけの関係だったが、
数か月のうちに、少しずつ雑談ができる間柄になった。
ある日、私がプールに入って程なく、芳じいがやってきた。
いつものように淡々と歩き始める芳じい。
私はスイーッと泳いでそばに立った。
「今日こそロマンスの話を聞かせてください!」
「ははは、そんな聞かせるほどの話ではないよ」
と、言いながらも芳じいは話しはじめてくれた。
私は大分の生まれなんだが、
田舎にしては、まぁ裕福な家だったよ。
大学を卒業して、転勤で北海道にいたとき、
結婚したいと思う人ができたんだね。
私は長男でもなかったし、話せばわかってくれると思って、
彼女を大分の実家に連れていったんだ。
うちの両親は彼女に30万円を差し出して
これで息子と別れてくれと言ったんだ。
親との縁を切る覚悟をしたよ。
しかし彼女は・・・。
お金も受け取らず、身を引くことを選んだんだ。
昔は好きだとか惚れたとかだけで、
物事がすすむような時代ではなかったんだよね。
辛かったよ。
もう一生独身で構わないと思った。
私は北海道をはなれ仕事に励んだよ。
海外にも赴任した。
そして数年後に親が選んだ女性と結婚した。
もちろん妻は悪い人ではなかった。
こどももなしたし人並みの家庭も作った。
典型的なサラリーマン人生を歩んだよ。
月日はながれ、定年前の勤務地は四国だった。
その勤務先に思わぬ電話がかかってきたんだ。
彼女だった。
なに、たあいない話ばかりさ。
連絡先さえお互いきかなかった。
ただ、会えてよかった、そう思った。
もう、思い残すことはないねぇ。
なぜ芳じいに、ロマンスの話をきかせてくれと言い出したのか、
自分でもよくわからない。
芳じい、75歳。
大切な思い出を話してくれてありがとう。
※芳じいには掲載の許可を得て書いています。